ネット上の掲示板やSNSでは、時折「ギャルキティは当時の流行に便乗したファンシー業者の勝手なパチモノだった」「サンリオ公式としては品位を損なうため黒歴史として封印していた」といった真偽不明の言説が散見されます。しかし、これは明確な歴史的誤認です。
当時の資料やサンリオ社内関係者の証言を丹念に紐解くと、ギャルキティの誕生は、当時のサンリオが仕掛けた極めて緻密かつ戦略的なマーケティングの成果であったことが分かります。1990年代半ば、サンリオキャラクターの主要顧客層は未就学児から小学生でした。しかし、3代目ハローキティデザイナーである山口裕子氏が直接原宿や渋谷の街頭へ足を運び、女子高生たちの生の声をヒアリングしたことで、「大人の女性も持てるクールなキティ」への舵切りが決断されたのです。
当初、白い肌がアイデンティティであるキティを「小麦色に焼く」という試みには、社内でも慎重論が存在しました。しかし、1990年代末に地域限定キティ(ご当地キティ)として沖縄やハワイの日焼けバージョンをテストマーケティングしたところ、女子高生を中心に爆発的なセールスを記録。これを受けて正式に全国展開へと踏み切ったという経緯があります。つまり、ギャルキティは非公認どころか、ハローキティを全世代対応のグローバルメガIPへと押し上げた立役者そのものだったのです。