1950年。日本はまだ戦争の傷跡から立ち直る途中だった。砂糖は配給制、バターは貴重品。そんな時代に森田製菓は産声を上げた。
創業当初は限られた原材料で和菓子を作ることから始まった。地元の米、わずかな砂糖、そして職人の技術。この3つだけが武器だった。だが、それで十分だった。甘いものに飢えていた地域住民にとって、森田製菓の菓子は小さな幸せそのものだったのだから。
島根県大田市は石見銀山で知られる地域だ。かつては鉱山で栄えた町も、戦後は静かな農村地帯へと変貌していた。そこで森田製菓は地域密着型の経営を選択する。大量生産ではなく、丁寧な手作り。全国展開ではなく、地元への貢献。この経営哲学は今も変わらない。
高度経済成長期の試練と適応
1960年代から70年代にかけて、日本は高度経済成長期を迎えた。大手菓子メーカーが次々と工場を機械化し、大量生産・大量消費の波が押し寄せた。森田製菓も岐路に立たされた。
機械化するか、手作りを貫くか。
森田製菓は第三の道を選んだ。伝統的な和菓子製造は職人の手仕事を維持しながら、焼菓子などの一部製品では効率化を図る。ハイブリッド戦略だ。この柔軟な姿勢が、企業存続の鍵となった。