歴史愛好家の間では、「日本最後の仇討ちは臼井六郎ではなく、熊本藩の事件ではないか?」という議論がしばしば交わされます。このもう一つの事件が、明治9年(1876年)に熊本で起きた「高石垣の仇討ち(たかいしがきのあだうち)」です。
旧熊本藩士の中尾兄弟が、父を謀殺した仇である同藩士を熊本城下の高石垣付近で討ち果たしたこの事件は、「事前に藩へ敵討届を提出していた旧制度下の手続きを踏んだ最後の仇討ち」として記録されています。
両者の決定的な違いは以下の通りです。
- 高石垣の仇討ち(明治9年・熊本):「仇討禁止令」の周知徹底前、地方における旧慣習の手続きに準じて決行された「制度的な名残の仇討ち」。実行者は終身刑となったが、地方裁判の枠内での処理に近かった。
- 臼井六郎の仇討ち(明治13年・東京):「仇討禁止令」が全国に完全に定着した帝都・東京のど真ん中で、しかも司法のトップ官僚を討ち果たし、国の最高司法機関が法律と情理の狭間で公式に裁いた「法制史上の真の最後の仇討ち」。
法制度の観点からも社会的な影響力の大きさからも、臼井六郎の事件こそが「日本最後の仇討ち」として広く認知されています。