日本のイベント警備史において痛恨の転換点となったのが、2001年(平成13年)7月21日に発生した明石歩道橋事故です。事故の記憶を正確に後世へ残すため、その経緯と構造的な要因を振り返ります。
明石歩道橋事故の経緯は、花火大会の終了間際、JR朝霧駅南側の歩道橋(朝霧歩道橋)で見物客が折り重なるように倒れたことから始まりました。駅へ向かう帰宅客と海岸へ向かう来場者が、幅約6メートルの密閉型歩道橋内で激突し、身動きが取れない「超過密状態」が発生したのです。
調査によって明らかになった群衆雪崩事故原因には、複合的な要素が絡み合っていました。
第一に、歩道橋内の過密状態が限界に達し、1平方メートルあたり十数人という異常な圧力がかかったこと。第二に、明石警察署および警備会社による事前の警備計画が不十分であり、現場での通行規制や一方通行化といった初動対応が致命的に遅れたこと。そして第三に、主催者側と警備本部との連絡連携体制が機能不全に陥っていた点です。
この事故により、幼い子ども9名と高齢女性2名の計11名が圧死し、247名が重軽傷を負うという大惨事となりました。防ぐことができたはずの人災として、社会全体に計り知れない衝撃を与えたのです。