『キミスイ』の核を形成するのは、膵臓の病を隠して気丈に振る舞う桜良と、読書に耽溺して周囲と壁を作ってきた「僕」の間で交わされる対話の緊張感です。住野よる氏の筆致は、軽妙な高校生の掛け合いの中に、鋭利な人生訓を忍び込ませています。
桜良が遺した言葉の中で、作品全体の哲学を決定づけているのが次のセリフです。
「偶然じゃない。私たちはみんな、自分で選んでここに来たの。運命なんかじゃない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私たちを会わせたの。私たちは自分の意思で出会ったんだよ」
難病モノにありがちな「過酷な運命に翻弄される悲劇のヒロイン」という構図を、桜良は自らの言葉で真っ向から否定します。病院で『共病文庫』を拾ったことも、クラスメイトとして言葉を交わしたことも、すべて自らの主体的な「選択」の積み重ねであると断言するこの姿勢は、心理学者アルフレッド・アドラーの目的論にも通底する力強い人間賛歌です。
一方、「僕」の内省的なセリフもまた、観客の胸を深く打ちます。他者と交わらないことを「自分一人で完結する調和」と捉えていた「僕」は、桜良の奔放さに引きずり回される中で、自らの頑なな心を徐々に解き放っていきます。
「君は本当にすごいよ。人を愛して、人に愛されて、生きている」
他者の視線を拒絶してきた「僕」が、他者と関わり続ける苦痛と喜びを引き受けている桜良の偉大さを認めた瞬間でした。さらに、物語のバイプレイヤーとして強烈な印象を残す「ガムをくれる友達」(一重の少年)の存在も見逃せません。事あるごとに「ガムいる?」と差し出す彼の言葉は、他者との接続を恐れていた「僕」に対する、見返りを求めない純粋な日常的承認のメタファーとして機能しています。