相田みつを(本名:相田光男)は、1924年(大正13年)に栃木県足利市で、6人兄弟の三男として生を受けました。決して裕福ではない家庭環境の中、少年時代のみつをを襲ったのが戦争の悲劇です。二人の兄が相次いで戦死し、自身も過酷な軍隊生活を経験しました。「生きたくても生きられなかった命」を目の当たりにした原体験は、のちの作品に一貫して流れる「命の重み」と「今を生きる尊さ」の決定的な原点となります。
旧制栃木県立足利中学校を卒業後、歌人・山下陸奥に師事して短歌を学び、さらに禅僧・武井哲応と出会って仏法に深く傾倒。同時に書家・岩沢渓石に師事して本格的な書の道へと進みます。ここで特筆すべきは、相田みつをは伝統的な書道の世界で極めて高い技術を持った実力派だったという事実です。毎日書道展に7年連続入選を果たすなど、古典書道の基礎を完璧に叩き込まれていました。
しかし、30歳を迎えた頃、彼は自らの芸術的良心に従って伝統書壇と完全に決別します。「専門家にしか読めない難解な書を書いて何になるのか。誰にでも読める平易な言葉で、自分自身の真実の叫びを表現したい」――この決断により、彼は書道界から「異端児」「あんなものは書ではない」と激しい排斥を受けることになりました。
以後、生活は困窮を極めます。自分の言葉を印刷した包装紙やろうけつ染めの作品を売り歩きながら糊口をしのぐ、30年以上にわたる極貧の無名時代が続きました。彼が全国的な脚光を浴びたのは、1984年、実に60歳のときに出版された『にんげんだもの』(文化出版局)でした。遅咲きのブレイクを果たしたものの、名声に溺れることなく創作に打ち込み続け、1991年12月、脳内出血のため67歳の若さで急逝しました。