「ロシア艦隊が神戸や横浜に砲撃を打ち込んでくるのではないか」「日本はロシアの植民地にされるのではないか」。事件の報が駆け巡るや、日本全国は天変地異が起きたかのようなパニックと強迫観念に包まれた。国家の過ちによって国が滅びるという恐怖が、人々の日常をいっぺんに飲み込んだのだ。
全国の学校は謹慎の意を表して一斉休校となり、神社や寺院には皇太子の平癒を祈る参拝客が殺到した。山形県の一村では「津田」の姓を持つ者の改姓が論じられ、ある女性は謝罪の遺書を残して京都府庁前で自害する事態にまで至った。事態を極度に重くみた明治天皇自らが、当時は異例中の異例であった京都への即刻行幸を行い、ニコライを直接見舞うという異例の外交措置をとった。一人の巡査の暴挙が、国家全体を自責とパニックの渦へ叩き落としたのである。