1975年、日本中に激震が走った。絶頂期にあったトップアイドルが、育ての親であるジャニーズ事務所を去るという前代未聞のニュースである。当時、事務所のトップアイドルが他社へ移籍することは業界の不文律に反するタブー中のタブーだった。では、なぜ彼はその引き金を引いたのか。
真相の根底にあったのは、「敷かれたレールの上で消費される操り人形のままで終わりたくない」という、表現者としての痛烈な渇望だった。過密なスケジュールの中で次々と用意される仕事をこなす日々。少年から大人の男へと脱皮する過渡期において、本格的な歌唱レッスンやダンスの研鑽を求めた彼は、自身の未来を自らの手でデザインすることを望んだのだ。
ジャニー喜多川氏にとって、手塩にかけて育て上げた最大の看板スターを失う痛手は計り知れなかった。当時の関係者の証言によれば、ジャニー氏は裏切られたという思いを抱きつつも、どこかでその強烈な自我とスターとしての資質を認めざるを得なかったという。去りゆく背中をただ罵倒するのではなく、その才能に魅せられていたからこそ生まれた複雑な感情。二人の間に横たわっていたのは、ビジネスの契約関係を超えた、濃密で張り詰めた人間ドラマだった。