中山功太がテレビからフェードアウトした最大の理由は、「急激な環境変化に対する適応の遅れ」と「芸人としての美意識・プライドの空回り」という複合的な要素にあります。2009年、フリップネタ「DJチャカ」や対比構造を巧みに用いたネタで『R-1ぐらんぷり』第7代王者に輝いた中山は、鳴り物入りで東京進出を果たしました。
しかし、当時の東京バラエティ界は「ひな壇バラエティ全盛期」でした。単独で完結する研ぎ澄まされたネタを得意とする中山にとって、大人数でテンポよくガヤを飛ばし、空気を読んで瞬時にパスを回す集団芸の現場は極めて相性が悪かったと本人が後年のインタビューで告白しています。
さらに、当時の特番インタビューや自著・手記で語られた「当時はR-1王者というプライドが邪魔をして、泥臭いイジられ役や体を張るロケの仕事をどこか見下して断ってしまっていた」という生の告白通り、制作サイドの求める役割と自己プロデュースの乖離が決定打となりました。NSC大阪22期の同期である南海キャンディーズ・山里亮太やキングコング、NON STYLE、ダイアン、とろサーモン・久保田かずのぶらが東京のバラエティに適応していく中で、孤高のスタンスを貫こうとした結果、レギュラー番組は瞬く間にゼロへと転落していきました。