桓武天皇の政治改革の核「勘解由使」とは?監査の仕組みと受領の闇

桓武天皇の政治改革の核「勘解由使」とは?監査の仕組みと受領の闇

桓武天皇の政治改革の核「勘解由使」とは?監査の仕組みと受領の闇の背景について、最新情報を詳しくお届けします。

勘解由使が新設された最大の背景には、奈良時代後期から急速に進行した律令財政の破綻と官人のモラル崩壊があります。当時の国司交代の現場では、現代の企業不正や特別背任事件をも凌駕するような生々しい不正工作が横行していました。

律令制における地方統治では、前任国司は任期が終わると、官舎の建物、公有地、備蓄された米や特産物、調・庸の税帳簿などをすべて後任国司に引き渡す義務がありました。後任者がそれらを点検し、「前任者の任期中に官物の紛失や横領、税の未納がない」と確認して初めて発行される事務引き継ぎ完了証明書が「解由状(げゆじょう)」です。

もし財政に赤字や不正があれば、後任国司は引き継ぎを拒否して「不解由状(ふげゆじょう)」を作成し、中央の太政官へ異議申し立てを行います。前任者は解由状を太政官に提出できなければ、次の任官を受けられないばかりか、位階の剥奪や私財を没収しての損害補填(弁償)を命じられる厳しいペナルティが待っていました。

ところが、現実の現場では以下のような不正や泥沼の紛争が日常化していました。

  • 前任者による公金の私的流用:正税(備蓄米)や官物を私腹を肥やすために使い込み、後任者には虚偽の帳簿を押し付ける。
  • 後任者による言いがかりと恐喝:前任者に落ち度がないにもかかわらず、個人的な怨恨や賄賂の要求を目的に、難癖をつけて解由状の発行を拒絶する。
  • 前任・後任の結託(なれ合い):賄賂の授受によって欠損を隠蔽し、不正な帳簿のまま解由状を偽造・交付して中央を欺く。

『続日本紀』などの記録には、国司交代の紛争によって何年も引き継ぎが完了せず、地方行政が完全にストップした事例が数多く記されています。桓武天皇は、長岡京・平安京への遷都事業や、坂上田村麻呂らを起用した東北地方への蝦夷征討によって国家財政が逼迫する中、地方からの税収漏れと官僚の綱紀粛正を断行すべく、延暦16年(797年)に勘解由使を創設しました。

斉藤 蓮
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斉藤 蓮

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