米陸軍航空隊の飛行服史を紐解くと、A-2からB-10への変遷は単なる素材変更ではなく、総力戦がもたらした必然のイノベーションでした。1931年に正式採用された傑作レザージャケット「A-2」は、パイロットのステータスシンボルとして不動の地位を誇っていました。しかし、第二次世界大戦の激化に伴い、大量の航空機増産と搭乗員の急増に対して、馬革や牛革といった上質な皮革資源の枯渇が深刻な問題として浮上したのです。
この危機的状況を打破すべく、米軍は1943年7月22日、大量生産が可能な高密度コットンツイルを表地に採用した「Type B-10」を正式採用しました。これがB-10フライトジャケット歴史と経緯における最大の転換点です。軍上層部は当初、あくまで高価な革製フライトジャケットの「一時的な代替え品」として現場へ支給しました。ところが、支給直後から最前線の航空兵たちから想定外の絶賛が寄せられることになります。
飛行兵たちの手記や従軍記録を調査すると、彼らがB-10を手放さなかったB-10フライトジャケット名作の理由が明確に浮かび上がります。当時、戦闘機のコクピットは狭小化が進み、硬く重量のある革製A-2は計器操作時の運動性を大きく制限していました。さらにA-2は裏地が薄手のコットンレーヨンであったため、上空の冷気に対して十分な防寒性が得られず、パイロットたちは凍えに耐えていたのです。対してB-10は、しなやかな布製で腕の可動域が格段に広がり、何より内側に敷き詰められたアルパカウールが極上の温もりを提供しました。
「一度B-10の軽快さと温かさを知った兵士は、二度とA-2を着て飛びたがらなかった」と当時の飛行記録にも残されているほどです。皮革不足という消極的な理由で開発されたジャケットが、結果として皮革の性能的限界を軽々と凌駕してしまったという歴史の皮肉。この圧倒的な実用性の勝利こそが、B-10を語る上で欠かせない伝説の真相です。