日本における桑の歴史は、そのまま国の近代化を支えた産業史と重なります。弥生時代に中国大陸から養蚕技術とともに伝来して以来、桑は絹糸を生み出す蚕(カイコ)の唯一の食草として、国家レベルで栽培が奨励されてきました。
特に明治から昭和初期にかけて、生糸は日本の主要な輸出品であり、富国強兵を支える貴重な外貨獲得源でした。全国各地の里山や畑に桑畑が広がり、農村経済の屋台骨となっていたのです。1911年(明治44年)には、桑畑の面積が全国の耕地面積の約1割に迫る約45万ヘクタールに達した記録も残されています。
化学繊維の台頭によって養蚕業自体は衰退したものの、全国に残る地名や民俗行事、さらには伝統工芸の素材として桑の文化は息づいています。固く緻密で美しい木目を持つ桑の木材(島桑など)は、最高級の和家具や茶道具、工芸品として現在でも極めて高い価値を誇っています。