運輸省航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)が約2年の歳月をかけて取りまとめた事故調査報告書では、事故の物理的原因が明確に立証されています。
123便に起きた破局的トラブルの根本原因は、事故の7年前(1978年6月2日)に大阪国際空港(伊丹空港)で発生した「しりもち事故」の修理不備でした。製造元である米ボーイング社の修理チームが後部圧力隔壁を修理する際、規定の2列リベット接合を行うべき部分に、部材を切断したうえで1列しかリベットが効かない不適切な施工を行っていました。
この修理ミスにより、飛行毎に繰り返される機内の加圧・減圧によって金属疲労亀裂が進行。1985年8月12日の飛行中、高度約2万4,000フィート(約7,200メートル)で隔壁が一気に吹き飛びました。客室内の高圧空気が尾部空洞へと噴出し、垂直尾翼の大半と、機体制御を司る4系統すべての油圧配管(ハイドロリック・システム)を完全に破壊しました。
油圧を完全に喪失したジャンボ機は舵が効かず、左右のエンジン出力調整(スロットル操作)とフラップ操作のみで約32分間にも及ぶ操縦不能飛行(フライト)を続けました。ボイスレコーダー(CVR)に残された「あたま下げろ」「パワー」「フラップ出ない」といった高濱機長・佐々木副操縦士らの懸命な肉声記録は、最後まで機体を立て直そうと闘い続けた乗員たちの壮絶な現実を証明しています。