中央の政変がもたらした波紋は、都の宮殿にとどまらず地方社会や民衆の末端にまで及んだ。公地公民制の推進によって、それまで地域ごとにバラバラだった支配基準が標準化され、全国規模での公的な土地班給制度が形作られていく。
民衆にとっては、統一された税負担や兵役という重荷が課される一方で、豪族による不当な私的搾取から保護される側面も存在した。一方、権力を失った地方豪族も排除されたわけではなく、国司や郡司といった地方官僚として組み込まれていった。社会の仕組み全体が「個人の支配」から「制度の支配」へと転換した瞬間であった。