万極という武将を語る上で絶対に避けて通れないのが、紀元前260年に秦と趙の間で勃発した長平の戦いです。この戦いで敗北した趙軍に対し、秦国の六大将軍筆頭であった白起は、投降した兵士を含む実に40万人を生き埋めにして処刑するという苛烈極まる大虐殺を強行しました。
当時まだ幼い少年だった万極は、まさにその処刑場にいました。父親や兄弟、友人たちが生きたまま穴に投げ込まれ、上から土をかぶせられて窒息死していく地獄絵図の中、万極は無数の同胞の死体の底で何日ももがき続けました。死臭と血煙が立ち込める土中から、怨念と執念だけで自力で這い上がってきた唯一の生き残り――それこそが万極の生い立ちであり、彼が「長平の亡霊」と呼ばれる所以です。
暗闇の中で死んでいった40万人の無念、絶望、そして秦国に対する果てしない呪詛をすべてその身に宿して地上へと帰還した万極にとって、生きる目的はただ一つ、「秦人への復讐」のみとなりました。彼が戦場で秦の一般市民を惨殺し略奪を繰り返す行為は、快楽殺人ではなく、長平で無残に殺された同胞たちの怨念を晴らすための儀式に他ならなかったのです。