昭和から平成の相撲黄金期を支えた二子山部屋の血筋でありながら、日本相撲協会への道を歩まなかった長男の選択は、当時大きな議論を呼んだ。大相撲の伝統と格式、そして周囲からのプレッシャーは計り知れないものがあったが、花田美恵子は息子の自由意思を最優先に尊重した。伝統的な家系を守ることよりも、一人の人間としての幸福と個性を重んじる判断を下したのである。
土俵という過酷な勝負の世界から距離を置いたことで、息子は自らのアイデンティティを自由に形成することができた。スポーツや学業に打ち込み、多国籍な友人に囲まれて成長した過程は、角界の世襲という重責から彼を解放した。父である花田虎上もまた、自らの過酷な経験を踏まえ、息子が別の道を歩むことを温かく見守り、無理に相撲界へと引き込むことはしなかった。