この物語の背景を理解する上で避けて通れないのが、1834年の新救貧法改正と、それを取り仕切った英国救貧法委員会による冷酷な統制だ。産業革命の進展とともに都市部へ貧困層が溢れかえるなか、当時の支配階級が打ち出したのは「劣等処遇の原則」だった。救貧院内の生活水準を、外で最底辺の生活を送る独立労働者よりも過酷に設定することで、安易な救済申請を阻もうとしたのである。
家族は容赦なく引き裂かれた。夫と妻、親と子は別々の病棟に隔離され、会話を交わすことすら厳禁。課されたのは、骨砕きやオークム(ロープ解き)といった無意味で過酷な重労働だった。福祉という美名に隠された救貧院制度の真実は、貧しさを犯罪と同義と見なす非情な選別装置に他ならなかった。