この騒動において、旧態依然としたスポーツジャーナリズムの構造的な問題も浮き彫りになった。週刊誌が決定的な写真を突きつける一方で、普段から球団と密接な関係にあるスポーツ紙や大手テレビ局は、当初この話題にほとんど触れなかった。日テレジータスをはじめとする中継メディアも、グラウンド上のプレーのみを淡々と映し出し続けた。
取材現場へのアクセス権(パス)を失うことを恐れるあまり、不都合な真実から目を背ける記者クラブ的な体質。それはファンの知る権利と、プロスポーツ興行としての都合が激しく衝突した瞬間でもあった。週刊誌発の芸能スクープがネットを通じて拡散し、大手メディアの沈黙そのものが不信感を生むという、現代の情報空間の歪みがすでに露呈していた。