咲洲庁舎の現在地を正しく理解するには、日本中を巻き込んだ「本庁舎全面移転の挫折」という原点に立ち返る必要があります。2008年に大阪府知事に就任した橋下徹氏は、老朽化し耐震性に不安を抱えていた大阪城前・大手前の府庁本館建替え費用(試算約1,000億円規模)を圧縮するため、経営破綻した旧WTC(大阪ワールドトレードセンタービルディング)を約85億円という破格の安値で買収し、すべての府庁機能を咲洲へ全面移転させる方針を打ち出しました。
「ベイエリアの負の遺産を再生させ、大阪の二重行政を打破する起爆剤にする」――当時の橋下知事は記者会見やテレビ番組で強い語気で訴え続けました。しかし、府議会(自民・公明・民主など)は「災害時のアクセス孤立リスク」「職員の通勤負担」「大阪市中心部からの距離」を理由に猛反発し、関連条例案は幾度となく否決・継続審議の泥沼に陥ります。
そして2011年3月11日、すべての議論に終止符を打つ決定打が発生しました。東日本大震災です。
震源から700キロ以上離れた大阪南港の咲洲において、超高層ビル特有の固有周期と軟弱地盤が共振し、激しい「長周期地震動」が発生しました。咲洲庁舎は最上階付近で往復約2.7メートル(推計)もの横揺れを記録。エレベーター全32基が緊急停止したほか、防火扉の破損、スプリンクラーの誤作動による浸水、壁面や天井の内装材剥落など、庁舎内の被害は計360箇所に及びました。
当時の防災関係者が「もし大規模地震の当事者であったなら、このビルは即座に対策本部として機能不全に陥っていた」と証言した通り、専門家検討委員会は「南海トラフ巨大地震発生時、咲洲庁舎単独を災害拠点と位置づけることは極めて危険」と結論付けました。これにより、橋下知事も全面移転の断念を正式表明。大手前を中枢拠点として維持し、咲洲には都市整備部や港湾局、環境農林水産部など一部の部局を配置する「二拠点分散体制」へと方針を大転換することになったのです。