門外不出だったカーティスのハム製法が、いかにして日本人へと受け継がれたのか。ここに登場するのが、鎌倉ハム黎明期の最重要人物である村井保吉です。
村井保吉は下柏尾村の近隣に住み、カーティス農場で働く中でその卓越した熱意と誠実さを認められ、日本人として初めてハム製造の技術を直接伝授されました。1886年(明治19年)頃、カーティスが病気療養のために農場を手放す際、保吉はその製造設備と製法ノウハウを受け継ぎ、自らの手でハム製造所を立ち上げます。これこそが、歴史に名を刻む村井商会の始まりです。
村井商会が製造したハムは、日本人の繊細な味覚に合わせて改良されつつも、伝統的な長期塩漬と桜の原木による燻煙という骨太な製法を頑なに守り抜きました。その品質の高さは瞬く間に評判を呼び、宮内省(現在の宮内庁)御用達の栄誉に浴したほか、国内外の博覧会で数々の賞牌を受賞。明治から大正にかけて「鎌倉のハムといえば村井商会」と言わしめるほどの圧倒的な名声を確立したのです。