文久から元治への過渡期、京都は暗殺と暴動の恐怖に震えていた。6月8日夜、新選組が尊王攘夷派の過激志士らを急襲した池田屋事件は、まさに火薬庫に火を放つ結果となった。近藤勇や土方歳三らの刀が閃き、志士多数が命を落としたことで、長州藩内部の急進派は制御不能な激昂状態に陥る。
翌7月、ついに長州藩兵が上京。皇居の目と鼻の先で繰り広げられた蛤御門の変(禁門の変)である。来島又兵衛や真木和泉らが率いる長州軍は、会津藩・薩摩藩を中心とする幕府勢力と激突した。御所に向けられた銃声と、市中を包んだ大火。「鉄砲の音が鳴り響き、京の町は三日三晩焼け続けた」と当時の記録は伝える。この敗北により、長州藩は「朝敵」の烙印を押され、幕府による第一次長州征伐という絶体絶命の危機に追い詰められていくのだった。