千数百年以上にわたって東アジアの平和と交易を規定してきた冊封体制は、19世紀後半、西欧列強の軍事侵略と「近代国際法(万国公法)」の荒波によって急速に解体へと向かいました。
近代国際秩序の根本原則は、領土の境界線を明確にし、すべての国が平等な主権を持つとする「ウェストファリア条約型」の主権国家体制です。これに対し、冊封体制は「中心(中華)からの距離と道徳の浸透度によってグラデーション状に影響力が及ぶ」という曖昧な同心円状の秩序でした。この構造的なズレが、列強の進出に伴い致命的な摩擦を生むことになります。
崩壊の第1段階となったのが、1884年から1885年にかけて勃発した清仏戦争です。長年、清の朝貢・冊封関係下にあったベトナムの宗主権を巡ってフランスと清が激突。敗北した清は天津条約によってベトナムに対する宗主権を放棄させられ、南方の冊封ネットワークを喪失しました。
そして決定打となったのが、1894年の日清戦争です。明治維新を経て近代主権国家へと脱皮した日本は、朝鮮半島における清の優越的な宗主権を打破しようとしました。勝利した日本が1895年に清と締結した「下関条約」の第1条には、次のように明確に刻まれています。
「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」
この一行によって、清と朝鮮の数百年におよぶ冊封・君臣関係は法的に完全消滅しました。東アジアの国際関係を律していた「天子と諸侯」のタテの関係は崩壊し、すべての国家が近代国際法に基づくヨコの関係へと強制的に再編されたのです。