ご きょう 日本酒のグラスに光が差し込むと、淡く澄んだ液面が妖艶に揺れる。山口県岩国市、名勝・錦帯橋のたもとで1871年から続く老舗蔵が放つ一杯は、いまや全国の利き酒師や地酒ファンから熱烈な視線を集めている。口に含めば、絹のように滑らかなテクスチャーとともにふっくらとした米の甘みが押し寄せ、最後は凛とした酸が静かに喉奥へと消えていく。この圧倒的な透明感と立体的な味わいは、どのようにして生まれるのか。
日本各地でクラフトサケや革新的な銘柄が次々と生まれるなか、現代の食通たちがこぞって探求するご きょう 日本酒の真価に改めてスポットライトが当たっている。かつて灘の男酒や伏見の女酒が市場を席巻した時代から歩みを進め、地方のテロワールを極限まで突き詰めた酒造りが結実した。伝統の継承と果敢な挑戦が交差する岩国の酒造りの現場へ迫る。
錦川の伏流水と酒井酒造株式会社が紡ぐ150年の歴史
明治4年の創業以来、岩国の地で酒造りの火を灯し続けてきた酒井酒造株式会社。8代目蔵元を務める酒井秀希は、地域の風土と共生する「地酒の原点」を頑なに守り抜いてきた。日本の清酒製造業が近代化の波に洗われ、機械化や大量生産へと舵を切った時代であっても、手造りの温もりと丁寧な洗米・製麹の工程を決して手放さなかった。
岩国を潤す清流・錦川の伏流水は、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル分が極めて少ない超軟水である。一般的な醸造業において硬水は酵母の発酵を力強く促すため扱いやすいとされる一方、軟水仕込みは酵母の活動が緩慢になり、極めて繊細な温度管理と緻密な観察眼が欠かせない。この扱いにくい軟水を手懐け、雑味のない清澄な美酒へと昇華させた歴史こそが、五橋のアイデンティティを形作っている。
杜氏・仲間史彦の手腕が光る軟水仕込みと生酛造りの奇跡
仕込み蔵に響く櫂入れの澄んだ音。五橋の酒造りを牽引する杜氏・仲間史彦は、軟水仕込みの難しさを熟知し、それを比類なき武器へと転換させた立役者だ。仲間が率いる蔵人たちは、原料米一粒一粒の吸水具合から麹室の温度変化まで、五感を研ぎ澄ませて対話を重ねる。
とりわけ近年、酒通の間で高い評価を得ているのが生酛造りへの挑戦と深化だ。人工的な乳酸を添加せず、蔵に棲み着く天然の乳酸菌の力を借りて力強い酵母を育てる古典技法。手間と時間を惜しみなく注ぎ込むことで、軟水特有の柔らかな口当たりの中に、芯の通った重層的な旨味とキレの良い酸が共存する。古くて新しいこのアプローチが、五橋の味わいに唯一無二の奥行きを与えている。