高村光太郎と智恵子の関係は、明治から昭和初期における最も純粋で壮絶な芸術家夫婦の姿として語り継がれています。
智恵子(旧姓・長沼)は、福島県二本松の裕福な酒造家に生まれ、日本女子大学校を卒業後は女性解放運動の象徴『青鞜』の表紙絵を手がけるなど、新進気鋭の洋画家として嘱望されていました。光太郎と運命的な出会いを果たし結婚しますが、当時の因習的な「妻」の役割と自らの芸術的野心の間で激しく葛藤します。
実家の破産や自らの絵画制作の行き詰まりが重なり、智恵子は徐々に精神を病んでいきました。光太郎はアトリエで智恵子を懸命に介護し、彼女が作る繊細な千代紙の切り絵を愛でながら支え続けましたが、病状の悪化に伴い入院を余儀なくされます。智恵子の死後、光太郎が彼女への追慕を込めて編纂した詩集『智恵子抄』は、時代を超えて読み継がれる不朽の純愛文学となりました。