事態が決定的な転機を迎えたのは1952年のことである。当時の韓国大統領李承晩が海洋主権宣言を出し、いわゆる李承晩線を海洋上に突如設定した。このラインの内側に竹島を取り込み、周辺水域で操業していた多数の日本漁船を抑留する事態が発生した。
以降、韓国側は警察常駐隊を島に配置し、警備艇の停泊施設やヘリポート、灯台などを建設していった。日本側はこの一連の措置を武力を背景とした不法占拠として抗議し続けているが、韓国側による実効支配の強化は現在に至るまで推し進められてきた歴史がある。
事態が決定的な転機を迎えたのは1952年のことである。当時の韓国大統領李承晩が海洋主権宣言を出し、いわゆる李承晩線を海洋上に突如設定した。このラインの内側に竹島を取り込み、周辺水域で操業していた多数の日本漁船を抑留する事態が発生した。
以降、韓国側は警察常駐隊を島に配置し、警備艇の停泊施設やヘリポート、灯台などを建設していった。日本側はこの一連の措置を武力を背景とした不法占拠として抗議し続けているが、韓国側による実効支配の強化は現在に至るまで推し進められてきた歴史がある。