今井むつみ氏の名を一般読者層へ決定的に知らしめたのが、言語学者・秋田喜美氏との共著である中央公論新社刊行の『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化してきたか』です。中央公論新社が主催する新書大賞において大賞(第1位)に輝き、新書としては異例の累計数十万部を突破する大ベストセラーを記録しました。
なぜ難解とされる言語学や認知科学の専門書が、知的好奇心の高いビジネスパーソンや読書人の心をこれほど強烈に揺さぶったのでしょうか。その真相は、人類史上最大の謎の一つである「記号接地問題(シンボル・グラウンディング問題)」に対し、極めて明快でスリリングな回答を提示した点にあります。
コンピュータや大規模言語モデルは、記号同士の関係性を統計的に処理しているに過ぎず、言葉そのものの手触りや身体的な実感を理解していません。対して人間の子どもは、「さらさら」「ゴツゴツ」といったオノマトペ(擬音語・擬態語)を身体感覚と結びつけ、音と意味の類似性から言語の足がかりを築きます。そこから仮説形成(アブダクション推論)を繰り返し、論理的で抽象的な言語体系へと飛躍していくのです。
「身体を持たないAIには決して到達できない、人間特有の知性の神秘」を実証データで解き明かした本書は、単なる言語学の枠組みを超え、自らの思考のルーツを再確認したいと願う現代人の知的渇望に見事に合致しました。