平安文学史上、もっとも有名なライバル関係として語り継がれるのが紫式部との対比だ。紫式部は『紫式部日記』の中で、清少納言をこう断じている。「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人(清少納言はひどく利口ぶって偉そうにしている)」。さらに「漢字を書き散らしているが、よく見れば穴だらけだ」「こんな人間の行く末が良いはずがない」とまで書き連ねた。
なぜ紫式部はここまで感情的に攻撃したのか。二人が同じ宮廷で顔を合わせた時期はなく、紫式部が仕えたのは定子の没後、藤原道長の娘・彰子のサロンだった。つまり、紫式部が目にしたのは宮廷に今なお色濃く残る「清少納言という不世出の天才の影」だったのだ。内省的で物事を深く憂える紫式部にとって、悲劇の渦中にあってもカラリと笑い、知性を誇示してみせた清少納言の生き方は、到底受け入れられない軽薄さに映ったのかもしれない。