1982年1月13日午後、ワシントン・ナショナル空港(現ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港)は、記録的な大雪に見舞われていた。駐機場で待機していたのは、フロリダ州フォートローダーデールへ向かう予定のエア・フロリダ90便。機体は信頼性の高い小型ジェット旅客機として世界中で運用されていたボーイング737-200だった。
機長のラリー・ウィートン(34歳)と副操縦士のパット・ペティット(31歳)は、降りしきる雪の中で滑走路の再開を待っていた。大幅な遅延に焦る機長は、機体に付着した氷雪を落とすため除氷作業を要請する。しかし、作業手順は不適切であり、除氷液の混合比率も寒冷地の基準を満たしていなかった。
さらに致命的だったのは、ゲートを離れる際の行動だ。押し出し用タグが雪でスリップした際、ラリー・ウィートン機長はエンジンの逆噴射を使って自力後退を試みた。雪だまりの中で逆噴射を行えば、吹き上げられた雪が吸気口に吸い込まれ、エンジン内部で凍りつく危険がある。地上員が警告したにもかかわらず逆噴射は強行され、氷雪はエンジン中枢へと容赦なく入り込んだ。
誘導路で列に並ぶ間、機長は前方のDC-9旅客機が出す排気熱を利用して翼の氷を溶かそうと、異常なまでに機体を接近させた。だが、この浅知恵が悲劇を決定づける。溶けた雪は冷風にさらされて水滴となり、翼の上面や重要なセンサー表面で再びカチカチに凍りついてしまったのだ。