宮沢賢治には2個下にトシという妹がおり、とても可愛がっていましたが、結核を発症し24歳という若さで亡くなりました。
とても優秀な女性で、東京の日本女子大学校家政学部で勉強していましたが、大学4年生の時に呼吸器系疾患で休養、さらに当時大流行していたスペイン風邪にも罹患しました。
当時は全快しましたが、冬にまた体調を崩し、地元に戻り療養を始めました。
そこから2年後の1921年に結核を発症し、翌年亡くなってしまいました。
宮沢賢治はとても可愛がっていた妹の死を深く悲しみ、トシが亡くなった日に3つの詩『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を残しました。
この作品にはトシの臨終に至る模様が描かれており、その後は深く悲しみ7か月間、詩を書けませんでした。