文藝春秋が発行する『週刊文春電子版』などがかつて報じたスクープは、政治家の私生活と公的責任の境界線をめぐる議論を日本社会に投げかけた。時事ドキュメンタリー・政治ジャーナリズムの観点から見ても、彼らのケースはメディア報道の暴力性と、そこからのリブランディングのあり方を示す格好の事例である。
私生活への過剰なバッシングを乗り越え、実名と顔を出して言論空間の第一線に踏みとどまり続ける彼らの姿勢は、スキャンダル消費型の報道に対する一つの回答とも言える。批判を浴びた過去を消し去るのではなく、自らの言論の強度によって上書きしていくプロセスの厳しさは、並大抵の覚悟で耐えられるものではない。