組織の起源をたどる上で避けて通れないのが、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)の結成と、その思想的支柱となった黒田寛一の存在である。盲目の指導者として知られた黒田は「反スターリン主義」を掲げ、独自の理論体系を構築した。
だが、その理論闘争は凄惨な殺戮劇へと発展する。中核派の指導者であった本多延嘉との路線対立は決定的な亀裂を生み、1970年代以降、両派は凄惨な内ゲバへと突入した。夜陰に乗じた暗殺、鉄パイプによる襲撃、大学構内での白昼のテロ。かつて同志であった若者たちが互いを「階級の敵」と呼び、命を奪い合った悲劇は、運動そのものの孤立と衰退を決定づけた。