事件の発端は1982年、愛媛県松山市で起きた「松山ホステス殺害事件」に遡る。同僚ホステスを殺害し、家財道具を奪って逃走した福田和子。愛媛県警察は直ちに広域捜査を開始したが、彼女は度重なる整形手術と偽名の使い分けで捜査網を潜り抜け続けた。
愛媛県警察による執念の追跡は難航を極め、時効直前まで彼女を追い詰めることができなかった。この15年という長すぎる歳月は、被害者遺族に癒えることのない無念を残しただけでなく、福田和子自身の子供たちの人生をも完全に破壊した。
捜査の手が家族に及ぶのは避けられなかった。長男をはじめとする子供たちは、頻繁な取調べや世間の冷ややかな視線に晒され続けた。母の犯した罪によって突然「普通の日常」を奪われ、逃亡者の家族として日陰を歩むことを余儀なくされたのだ。