同年のドラフト会議で読売ジャイアンツからドラフト1位指名を受けて入団した定岡正二。しかし、プロの世界は甘くありませんでした。入団当初は線の細さや右肩の故障に苦しみ、一軍定着までに数年の歳月を要することになります。当時の一部メディアからは「ルックス先行」「人気倒れ」と心ない批判を浴びる悔しい時期も経験しました。
その逆境を跳ね返したのが、長嶋茂雄監督時代の地道なファームでの鍛錬と、藤田元司監督が就任した1980年代初頭の本格ブレイクです。1980年に先発ローテーションに定着すると、1981年には11勝6敗・防御率2.68をマークし、チームのリーグ優勝および日本一に大きく貢献。翌1982年には自己最多となる15勝6敗・防御率3.29を記録し、怪物・江川卓、雑草魂・西本聖とともに「巨人先発三本柱」の一角として君臨しました。
キレのあるストレートと鋭いスライダーを武器に、打者の手元で沈ませる投球術は超一流であり、決してビジュアルだけではない本物の実力をグラウンド上で証明してみせたのです。