小泉信三の家系図と子孫の現在|小泉純一郎との血縁の真相を暴く

小泉信三の家系図と子孫の現在|小泉純一郎との血縁の真相を暴く

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小泉信三の生涯における最も痛切な悲劇であり、一族の運命を大きく変えた出来事が、愛息である長男・小泉信太郎氏の戦死です。

信太郎氏は慶應義塾大学経済学部を卒業後、父親譲りのスポーツマンシップを発揮し、慶應庭球部(テニス)でも活躍した前途洋々たる青年でした。しかし太平洋戦争の激化に伴い学徒出陣。海軍主計科士官(海軍主計大尉)として軽巡洋艦「多摩」に配属されます。

そして1944年(昭和19年)10月25日、太平洋戦争の天王山となったフィリピン沖海戦(レイテ沖海戦)において、乗艦「多摩」は敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。信太郎氏は24歳の若さで散華しました。最愛の息子を失った小泉信三の慟哭は想像を絶するものでしたが、信三は取り乱すことなく、息子の遺品や日記、戦友たちの証言を集め、一冊の追悼録を編纂します。それが昭和史に残る名著『海軍主計大尉小泉信太郎』です。

同書の中で信三は、息子を失った父としての深い悲傷を抱えつつも、軍国主義への安易な追従でも感情的な反発でもない、静謐で気品に満ちた言葉で息子の短い生涯を綴りました。「人はただその務めを果たして死ぬるもの」という冷徹な覚悟と、あふれ出る人間愛の記録は、多くの戦没者遺族の胸を打ちました。

悲運はこれにとどまりませんでした。翌1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲により、信三は自宅で猛火に包まれます。全身に重度の熱傷を負い、生死の境をさまよいました。奇跡的に一命を取り留めたものの、顔面から両手にかけて激しい火傷の瘢痕が残ることとなりました。最愛の跡継ぎを失い、自らも深い肉体的苦痛を背負いながら、信三は戦後の混乱期に大学の再建と皇室の未来のために立ち上がることになります。

山下 哲也
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山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。