番組の産みの親でもある初代司会者・立川談志から、2代目の前田武彦、3代目の五代目三遊亭圓楽、4代目の桂歌丸、そして現職の5代目・春風亭昇太に至るまで、司会者の交代は常に番組の生死を分ける分岐点だった。
なかでも語り草になっているのが、1969年の初代から2代目へのバトンタッチだ。自らの理想とするブラックユーモアを突き詰めようとした談志と、大衆性を重視する回答者陣との対立が激化。最終的に談志が回答者全員を降板させるという前代未聞の強硬手段に出たが、視聴者の反発を招き、自らも番組を去る結果となった。この激動の降板劇こそが、番組の方向性を「毒」から「愛されるお茶の間の演芸」へとシフトさせる最大の契機となったのだ。