局アナとして頂点を極めた彼が、なぜその座を辞して同志社大学ハリス理化学研究所の専任研究所員(助教)へと身を投じたのか。その核心にあるのが「サイエンスコミュニケーション」の学術的確立である。感染症の拡大や気候変動など、科学的知見が人々の生命や生活に直結する局面が増える一方で、専門家の言葉と一般社会の理解との間には深刻な分断が生じていた。
短時間でインパクトを求められるテレビの枠組みだけでは、科学が持つ不確実性や多面的なニュアンスを伝えきれない。現場で抱き続けたそのもどかしさが、彼を学術の世界へと駆り立てた。単なる解説者ではなく、メディアと研究現場の双方を熟知した「翻訳者」を体系的に育成・研究する拠点を築くこと。エリートアナウンサーの看板を捨てるリスクを冒してでも、社会に必要なインフラを作る道を選んだのだ。