ネット上では長年、「Johnnyはなぜ過去の再結成に参加しなかったのか」「メンバーと確執があって脱退したのではないか」という憶測が飛び交っていました。しかし、取材と公式発表が示す事実は、不仲説とは対極にある「男の責任と信頼の物語」でした。
1983年末、横浜銀蝿が絶頂期の中でわずか3年3か月の活動にピリオドを打った後、Johnnyはソロ活動を経て音楽プロデューサーなど裏方の道へと進みました。本名である浅沼正人(あさぬま まさと)としてキングレコードに入社した彼は、制作ディレクターとして頭角を現し、数々のミリオンセラーアーティストを世に送り出します。その後、関連会社であるベルウッドレコードの代表取締役社長に就任し、さらにはキングレコード本社の執行役員・常務取締役にまで上り詰めました。
1998年や2000年代に横浜銀蝿が再結成を果たした際、Johnnyが公のステージに立てなかったのは、東証一部上場企業グループの役員として数十人〜数百人の社員とその家族の生活を背負っていたからです。コンプライアンスや社会的立場が厳格に問われる大企業幹部が、革ジャンとサングラスのツッパリロッカーとしてステージに立つことは、当時の企業倫理として極めて困難でした。決してメンバーを見捨てたわけではなく、陰ながらバンドの音源制作や契約面をサポートし続けていたのです。
転機が訪れたのは2019年でした。バンドの創設者であり精神的支柱だったリーダーの嵐(ドラム)が脳梗塞に倒れ、リハビリ生活を余儀なくされる中、「もう一度、4人でステージに立ちたい」と強く願ったことが発端です。時を同じくしてJohnny自身も企業の定年退職という大きな人生の節目を迎えていました。「嵐さんの生きているうちに、4人で音を鳴らしたい」。翔やTAKUからの熱烈な呼びかけに応え、Johnnyは実に37年ぶりとなるステージへの復帰を決断したのです。