ネット上で稲田氏の論考が引用される際、時に「最近の若者の浅薄さを批判する年長者の愚痴」として都合よく曲解されるケースが見受けられます。しかし、これは明確な誤解です。
稲田氏が一貫して警鐘を鳴らしているのは、「若者の倫理観の低下」などという安易な精神論ではありません。問題の根源はむしろ、アルゴリズムによって最適化され続けるプラットフォームの設計や、即座のリアクションを強要する情報環境、さらには「失敗=時間の無駄」と刷り込む成果主義的な社会規範にあります。
著書の中で繰り返し強調されているのは、倍速視聴を行う当事者たちが、むしろ「真面目で、協調性が高く、情報感度に優れた人々」であるという皮肉です。彼らは怠惰だから早送りしているのではなく、過酷な情報化社会から脱落しないために必死でコンテンツを詰め込んでいるのです。
したがって、稲田氏の批評を「昔の映画鑑賞法に戻ろう」という単なるレトロ懐古主義として消費してしまうと、提示された本質的な警鐘を見失うことになります。問われているのは、私たち自身の「生き方の速度」そのものなのです。