日本歌謡史に燦然と輝く『愛燦燦』の誕生には、予期せぬクリエイティブの交錯がありました。1986年、大手食品メーカー「味の素」が新たな企業イメージCMを制作するにあたり、音楽担当として白羽の矢が立ったのが小椋佳でした。当時、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の現役エリート銀行員でありながら、劇作家・寺山修司との邂逅を機にデビューし、『シクラメンのかほり』や『俺たちの旅』など数々の名曲を生み出していた稀代のメロディメーカーです。
小椋佳がCM楽曲の制作を依頼された際、歌唱アーティストとして提示されたのが「美空ひばり」でした。昭和歌謡の頂点に君臨する巨大な存在に対し、小椋は最初、自身のようなフォーク・ニューミュージック出身の作家が手掛けるべきか重圧を感じたと、のちの特番インタビューや回顧録で率直に明かしています。しかし、小椋は彼女の華麗なスター性ではなく、幼少期から国民の期待を背負い、家族の不幸やスキャンダルに晒されながら孤独に戦い続けてきた「一人の傷だらけの女性」としての素顔に目を向けました。
完成したデモテープを聴いた美空ひばりは、その素朴で深い慈愛に満ちた旋律に深く心を打たれたと伝えられています。当時の関係者の証言によると、ひばりは「小椋さんは、どうして私のこれまでの人生を見ていたのかしら」と呟き、涙を浮かべながらレコーディングに臨んだといいます。壮大なオーケストラ歌謡とは一線を画す、アコースティックで静謐なアレンジは、歌姫の肩の力を抜き、語りかけるような奇跡のボーカルトラックを引き出す決定打となりました。