一方、迎え撃つ大日本帝国陸海軍も手をこまねいていたわけではありません。大本営は本土防衛の最終計画として「決号作戦」を策定。全土をいくつかの防衛地域に分け、九州方面を「決六号作戦」、関東方面を「決三号作戦」と位置づけ、徹底抗戦の構えを整えていました。
日本軍の戦略は、上陸部隊が海岸に達する前に特攻機や特攻艇(震洋・回天など)で打撃を与え、海岸堡を築かれた後は全兵力を挙げた白兵突撃で米軍に出血を強いる「一撃講和」を狙うものでした。さらに軍人だけでなく、一般市民も「国民義勇戦闘隊」として組織され、竹槍や爆雷を用いたゲリラ戦まで想定されていました。
米軍の暗号解読作戦(マジック情報)は、九州南部に集結しつつある日本軍の兵力が当初の想定を大幅に上回る14個師団・約90万人規模に急増している事実を突き止めます。米陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルや統合参謀本部は、この猛烈な防衛態勢に強い危機感を抱きました。
米軍内部で試算された死傷者予測は、最も控えめな見積もりでも数十万人、作戦全体では米軍だけで50万人から100万人、日本側も含めれば数百万人単位の犠牲が出ると試算されました。沖縄戦における激しい消耗を経験していたハリー・S・トルーマン大統領にとって、この膨大な自軍の被害想定は極めて重い政治的重圧となっていたのです。