競馬界で長年語り継がれてきた現象が「西高東低」です。日本ダービーや有馬記念をはじめとするG1レースにおいて、栗東所属の関西馬が美浦所属の関東馬を勝率・賞金獲得額ともに大きく凌駕してきた歴史があります。かつて1980年代前半までは関東馬が優位に立っていましたが、なぜこれほど劇的な力関係の逆転が起きたのでしょうか。
その背景には、栗東トレセンが持ついくつかの決定的な要因が存在します。
第1の要因は、調教施設の革新スピードです。栗東は1985年にいち早く「坂路コース」を導入しました。これにより「強い負荷をかけながら馬の脚元を守る」という画期的な育成スタイルを確立し、馬の基礎体力を飛躍的に向上させました。
第2の要因は、外厩(がいきゅう)連携と地理的アドバンテージです。滋賀県周辺には「ノーザンファームしがらき」をはじめとする世界最高峰の民間育成牧場が集結しています。トレセン近郊の育成施設で極限まで仕上げた状態で入厩させ、短期間でレースへ送り出す高効率なサイクルが定着しました。さらに阪神・京都・中京といった主場への輸送距離が短く、競走馬への輸送ストレスを最小限に抑えられる点も強みです。
第3の要因は、調教師・騎手間の熾烈な競争意識です。栗東では厩舎の垣根を越えた情報交換が活発で、武豊騎手や川田将雅騎手、坂井瑠星騎手といったトップジョッキーと有力調教師が妥協のないパートナーシップを形成してきました。「強い馬づくり」に対する貪欲な姿勢とシビアな結果至上主義が、半世紀にわたり関西馬の強さを底上げしてきたのです。