番吾の戦いでの大敗や数々の窮地により、ファンの間では一時「王翦の死亡フラグか」と騒がれました。しかし、史実(『史記』)における王翦の足跡を辿ると、彼がここで命を落とすことは絶対にあり得ません。
史実における王翦は、白起・廉頗・李牧と並び「戦国四大名将」の筆頭に数えられる不世出の英雄です。今後の歴史において、王翦は再び軍を率いて趙の首都・邯鄲を陥落させて趙を滅ぼし、さらには燕、そして強大な楚を平定する最高司令官として君臨します。秦が成し遂げる中華統一の主要な戦争の大部分は、王翦とその息子・王賁の手によって成し遂げられます。
さらに興味深いのは、王翦の晩年です。楚攻略にあたり60万の大軍を任された王翦は、始皇帝(嬴政)に対して何度も美田や屋敷をねだり、自らに謀反の気がないことを徹底的にアピールしました。この卓越した処世術によって始皇帝の猜疑心をかわし、粛清されることなく天寿を全うして引退しています。作中で漂う不穏な野心とは裏腹に、史実の王翦は誰よりも賢明に生き抜いた勝者なのです。