小麦粉などのつなぎを一切使わない手打ち十割蕎麦は、蕎麦打ち技術の最高到達点とも呼ばれる。わずかな水分量の狂いで生地が千切れ、湯の中で崩れてしまう極めて繊細な世界だ。渡邊店主は、全国各地の契約農家から厳選した玄蕎麦の状態を毎日見極め、その日の気温や湿度に合わせて加水率をコンマ単位で調整する。
「蕎麦粉は生き物。粉が水を欲しがる声に耳を傾けるだけです」
そう淡々と語る渡邊店主の手から繰り出される麺は、十割とは思えないほど滑らかで、驚くほどしなやかな弾力を持つ。噛み締めた瞬間に弾ける穀物の豊かな甘み、鼻孔を突き抜ける清々しい香り。濃口醤油と本枯節で仕込んだ辛口のつゆに蕎麦の先端を三分だけ浸し、一気に啜り上げる。喉を通り過ぎた後に残る芳醇な余韻は、まさに職人技が生み出した奇跡のバランスといえる。