バンドリーダーとしての成功にとどまらず、加瀬邦彦さんの名を不滅にしたのが盟友・沢田研二(ジュリー)さんとのプロデュースワークです。加瀬さんはソロ転向後の沢田研二さんを全面的にバックアップし、数々のミリオンセラーを創出しました。
1973年にリリースされた『危険なふたり』(作曲:加瀬邦彦、作詞:安井かずみ)は、第15回日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、沢田研二さんのソロ初となるオリコン1位を獲得。さらに1980年の『TOKIO』(作曲:加瀬邦彦、作詞:糸井重里、編曲:坂本龍一)では、パラシュートを背負ったド派手な衣装と近未来的なテクノ歌謡サウンドを融合させ、日本中のお茶の間を釘付けにしました。
加瀬さんは単なる作曲家にとどまらず、ビジュアルやコンセプト、演出までトータルで手掛ける日本初の総合音楽プロデューサーのひとりでした。沢田研二さんが見せるダンディズムと妖艶さを誰よりも理解し、時代の一歩先を行く楽曲を提供し続けた二人の信頼関係は、歌謡界屈指の絆として語り継がれています。