1957年に首相へ就任した岸信介が、内閣の最優先課題として掲げたのが日米安全保障条約の改定だった。旧条約はサンフランシスコ平和条約と同時に結ばれたものであり、米軍の日本駐留を認める一方でアメリカ側に日本防衛の義務はなく、内乱鎮圧への米軍出動すら可能とする、極めて不平等な内容を孕んでいた。
岸が目指したのは、日本を「米国の従属国」から「対等なパートナー」へと引き上げることだった。新条約交渉では、日本に対する防衛義務を米国に明記させ、米軍基地の配備や戦闘作戦行動に対する事前協議制を導入。主権国家としての体裁を取り戻すための、冷酷なまでの政治・政策交渉を展開したのである。
だが、その強引な政治手法は空前の国民的混乱を招いた。条約改定が日本を再び戦争へと巻き込むのではないかという恐怖が広がり、1960年の安保闘争へと発展する。連日、国会周辺を埋め尽くすデモ隊、催涙弾の煙、流血の事態。それでも岸は警官隊を国会に導入して強行採決に踏み切った。「国会周辺の声だけが国民の声ではない。サイレント・マジョリティは支持している」と言い放ち、新条約の発効と同時に退陣。己の首と引き換えに、現在に至る強固な日米同盟の基盤を完成させた。