「13日の金曜日」が不吉とされる理由は、単一の明確な事件だけで成立したものではありません。古代の神話、宗教的なタブー、そして中世の政治的陰謀が何世紀にもわたって積み重なり、現在の強固なジンクスが形成されました。歴史学者や民俗学者の研究によって裏付けられている代表的な3つの起源を紐解きます。
最も広く知られているのが、キリスト教の聖書に由来する説です。新約聖書に描かれる「最後の晩餐」には、イエス・キリストと12人の使徒、合わせて13人が出席していました。この席上でキリストを裏切ったイスカリオテのユダが「13番目の着席者」であったと伝えられています。さらに、裏切られたキリストが十字架に磔にされて命を落とした受難の日が「金曜日」でした。この2つの要素が組み合わさることで、キリスト教文化圏において「13」と「金曜日」は忌まわしい象徴として人々の潜在意識に刻み込まれました。
キリスト教の伝播以前に存在した北欧神話の伝承も極めて有力なルーツの一つです。アスガルドの最高神オーディンがヴァルハラに12人の神々を招いて開いた祝宴に、招かれざる13人目の客として悪神ロキが乱入しました。ロキは盲目の神ヘズをそそのかし、神々から最も愛されていた光の神バルドルをヤドリギの矢で射殺させてしまいます。この悲劇によって地上は闇に包まれ、世界の終末「ラグナロク」の契機となったことから、北欧圏では「13人でテーブルを囲むと災いが起きる」という強烈なタブーが定着しました。
中世ヨーロッパ史における決定的な事件として語り継がれているのが、テンプル騎士団の一斉検挙と火刑です。1307年10月13日の金曜日、フランス国王フィリップ4世は莫大な借金を帳消しにし、騎士団の莫大な財産を没収するため、全土のテンプル騎士団員を一斉に異端の容疑で逮捕しました。拷問の末に多くの騎士が処刑され、最後の総長ジャック・ド・モレーは火刑台の上で国王と教皇に呪いの言葉を遺して絶命したと記録されています。この悲惨な歴史的虐殺劇の日付が「13日の金曜日」であった事実が、中世以降の欧州全域に深い陰影を落とすことになりました。