1990年秋、オグリキャップを取り巻く空気は冷え切っていました。地方競馬・笠松から中央競馬へ電撃移籍し、重賞連勝街道を突き進んできた「芦毛の怪物」も5歳(現表記4歳)の冬。過酷なローテーションと激闘の連続により、心身ともに疲弊しきっていた怪物は、天皇賞(秋)で6着、続くジャパンカップでは勝ち馬から大きく離された11着に沈みます。「オグリキャップ限界説」がスポーツ紙の一面を飾り、ファンの間でも「もう走らせないでくれ」「無事に引退させてほしい」という悲痛な声が上がっていました。
しかし、陣営が選んだのは逃げ道ではなく、暮れの大一番・有馬記念での引退レースでした。迎えた当日、中山競馬場のパドックに姿を現したオグリキャップは、かつての覇気を取り戻しつつありました。ファンは惨敗続きの現実に胸を痛めながらも、奇跡を信じて単勝馬券を買い求めます。単勝オッズ5.5倍の4番人気。それは、衰えを指摘されながらもファンが寄せた最後の祈りのような支持率でした。
ゲートが開くと、それまでの鬱憤を晴らすかのような完璧なスタートを切ります。道中は無理に前を追わず、経済コースであるインの5〜6番手をピタリと追走。3〜4コーナー中間から進出を開始し、直線入り口で先頭に躍り出た瞬間、スタンドからは割れんばかりの大歓声が湧き起こりました。外から猛追するメジロライアン、ホワイトストーンを3/4馬身差で振り切ってゴール板を駆け抜けた瞬間、中山競馬場は感動と興奮で完全にカオスと化しました。