上地雄輔は、その荒波を「アーティスト・遊助」としての活動と、地道な俳優業へのシフトで乗り切った。彼の強みは、あの頃と変わらない「親しみやすさ」を維持しつつも、決して自己パロディに陥らなかった点にある。球児としての泥臭さ、そして誰に対しても分け隔てない態度。それが業界内での信頼に繋がった。
テレビのレギュラー番組を維持し、ライブツアーを毎年成功させる。この「普通」に見える営みを20年近く続けることが、どれほど困難か。彼はヘキサゴンという看板を下ろした後も、自らの足で立ち続ける道を選び、それを証明してみせたのだ。