論争が起きやすいのは、言葉の受け取り手が勝手に“当たり前”へ拡張してしまうからだ。語り手は「自分はそう思えた」と言っているつもりでも、聞き手が「だから誰も悪くないはず」と受け取ることがある。
ここにズレが生まれる。ジェンダーの問題は、個人の幸福だけで完結しない。制度や慣習が作る不均衡があり、それは当事者の体験として積み上がっていく。だから、肯定の言葉は“問題の存在”と共存できる形で語られないと、摩擦が増える。
また、「よかった」が自分の過去の痛みを乗り越えた結果である場合もある。傷があったからこそ肯定へ移れたのだ、という道のりは、簡単に一般化できない。一般化した瞬間、言葉は誰かの痛みを踏み潰す可能性が出る。
よくある誤解:肯定=否定、ではない
よくある誤解は、肯定を“否定”と同一視することだ。たとえば「女に生まれてよかった」が、他の性別の選択肢や経験を比較の土俵に引きずり出していないか、という点が争点になることがある。
ただ、語り手が何を比べているのかは、言葉だけでは分からない。だから議論を深めるには、「あなたにとって何が“よかった”だったの?」と、具体を引き出す質問が効く。