10世紀初頭、新羅の衰退に伴い後三国時代を経て半島を再統一したのが高麗(こうらい)です。英語の「Korea」の語源となったこの王朝は、仏教を国教とし、世界最古級の金属活字印刷技術や名高い「高麗版大蔵経」を生み出しました。しかし、13世紀にはユーラシアを席巻したモンゴル帝国(元)の侵攻を受け、服属を余儀なくされます。元寇(文永の役・弘安の役)では、高麗軍も元の指揮下で日本への出兵に加わりました。
1392年、元の衰退に乗じて武将の李成桂(イ・ソンゲ)が高麗を倒し、建国したのが李氏朝鮮(朝鮮王朝)です。高麗と李氏朝鮮の間には、国家統治の思想において明確な違いが存在します。
【高麗と李氏朝鮮の主な違い】
- 支配理念:高麗が「仏教中心」であったのに対し、李氏朝鮮は仏教を排斥して「朱子学(儒教)」を国家の基本理念に据えた。
- 対外関係:高麗が北方民族や元と激しく対立・交渉したのに対し、李氏朝鮮は明・清を宗主国と仰ぐ「事大主義」を徹底した。
- 文字・文化:第4代世宗(セジョン)大王が、民衆のための表音文字「訓民正音(ハングル)」を1443年に創製した。
16世紀末には豊臣秀吉による2度の侵略(文禄・慶長の役/壬辰・丁酉の倭乱)に見舞われ、半島全土が荒廃。李舜臣(イ・スンシン)率いる水軍の抵抗などで日本軍は撤退したものの、その後も清の侵入(丙子の乱)を受けるなど、対外的な試練が続きました。江戸時代の日本とは「朝鮮通信使」を通じて平和的な善隣友好関係を再構築しています。